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書斎の漂着本  (7)  蚤野久蔵 地中の秘密

考古学趣味が高じて自宅庭に「太古遺物陳列所」まで作ってしまった江見水蔭(えみ・すいいん)の『探検實記地中の秘密』(博文館、明治42年=1909)である。

地中の秘密

ご覧のように痛みがひどく、タイトルと著者名の赤い文字が消えかかっている。たしか所沢の古書市の「100円コーナー」で見つけたが、ここまで痛んだら<見切本>扱いで、売れ残ったらまとめて廃棄処分される運命だったはず。著者のことは知らなかったが、パラパラめくって発掘現場の写真とか土器や石器のスケッチが目に付いたから考古学関係と目星をつけた。それと写真のように本の下に墨で書名が書かれているのが面白かったので入手した。もちろん右から読むが、持ち主は本棚に横に積み上げていたのかなどと考えたりして・・・我ながらよほどの物好きなのでしょうねえ。

おっと、秘密の「蜜」の字は誤字だ!と、たったいま気付きました。

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江見は明治2年(1869)岡山市生まれで、本名は忠功(ただかつ)、軍人を目ざして上京したが文学に惹かれるようになり、のちに昭和天皇に「帝王学」の一環として倫理を進講した杉浦重剛の私塾で学んだ。ここで同人誌や雑誌などを発刊するうち塾仲間となった児童文学や文部省唱歌「ふじの山」(あ~たま~を く~も~の う~えに~だ~し~、のあれ!)で知られる巌谷小波(いわや・さざなみ)らと交友を深めた。尾崎紅葉らの硯友社で作家デビューし、いくつかの出版社で雑誌編集者としても腕をふるった。代表作には小説『女房殺し』、随筆『自己中心明治文壇史』などがある。欧州公演から帰った川上音二郎の依頼でシェークスピアの『オセロ』を、台湾を舞台にして翻案した『正劇室鷲郎(オセロ)』を書いた翻案家の顔もある。オセロを川上、デズデモーナを妻の貞奴が演じ、わが国の演劇史上初めて女優が人前で演じた作品として知られる。江見が謝礼として受け取ったとされる千円も破格で、「一等地に豪邸が何軒も建つ」とこちらも話題になった。

当時からのめり込んでいたのが<考古学的探検>で、調査・研究の成果として『地底探検記』を明治40年(1907)に博文館から出版して大当たりした続編が、この『探検實記地中の秘密』である。實記の名の通り、過去8年間にわたる「探検」のなかから成果や武勇伝をおもしろおかしく紹介する<裏話集>でもある。現在のようなきちんとした発掘調査ではなく、貝塚や古墳など遺物が出そうなところを手当たり次第に掘りまくる。モースが<掘り残した邸宅の庭園>にようやく許しが出たと意気込んで出かける大森貝塚の発掘をはじめ、潮来方面、印旛沼東岸、茨城・行方半島と結城などに遠征し、銚子・余山貝塚へは都合5回も出かけている。千葉の加曾利貝塚では東京帝大考古学教室の坪井正五郎博士も参加しているから専門家と考古学愛好者や骨董マニアなど好事家が一緒になったまさに「考古学の揺籃期」だった。

発掘品はそれぞれが持ち帰り、仲間同士で交換もできた(マニアには)よき時代だったから、入手に至る苦労話とともに「太古遺物陳列所の大珍品」としてスケッチを掲載している。

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左が「顔面付土器」=武蔵下沼部(出土)、右が「有髯(ひげ)土偶」=余山貝塚、とあるが、いまならいずれの発見もトップニュースになりそうで、江見が<戦利品>と大喜びするのも分からなくもない。

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かねてから欲しいと熱望していたのがこの信濃・湯川出土の「顔面把手」。持ち主に手紙を書いたところ、意外にも上京のついでに届けてくれた。感激のあまり思わず合掌してしまった。実物を観察すると「顔の形状は埃及(エジプト)の女面獣(スフィンクス)に似て見える。またその口は十字形にして兎のようで・・・」と。いやはや、なかなかの想像力です。

調布・深大寺の原っぱの斜面からは望生という同好の友人と二人で276点もの磨製石斧や石鏃(やじり)を拾った。重すぎて一度には持ち帰れないので、雑木林に埋めておき、後日取りに来ようとしていたところを巡査に見とがめられて職務質問される。

「こんなものをどうする」   「これは学術上の参考材料です」

「住所はどこだ」   「品川陣屋横町四十番地四十一番地」

「四十番地か、四十一番地のどちらだ」   「屋敷は両方にまたがっている」

「それで姓名は」   「エミタダカツ」

「職業は何だ」   「ブンシだ」

「ブンシという職業があるか」   「有る」

「ああ文士か。エミタダカツというと・・・ああ、江見・・・水蔭さんですか」   「そう」

「それなら分かりました。強盗が徘徊するので非常線を張っていました」   「・・・」

太古遺物陳列所

「人相の悪い余と望生が、浴衣がけに草鞋脚絆、鎌や鍬を手に持って、おまけに重い風呂敷包を持っているのだから強盗に間違われるのも無理もない」と書いているが、「太古遺物陳列所」の前で娘?を抱いて写っている写真ではかなりのイケメンである。

巻末の出版広告にも「水蔭君著書」として『軍事小説武装の巻』とか『實地探検捕鯨船』などが紹介されている。そうなれば警察へもある程度は名前が知れ渡っていたのだろうが、わざわざそれを紹介するというのは、いかにも<自慢したげな>エピソードに思える。当時の巡査はいまとは大違いで口調からして居丈高だったのだからそこはいっぱしの武勇伝と思いたい。

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