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書斎の漂着本  (22) 蚤野久蔵 食い放題

昭和50年(1975)5月に日本経済新聞社から緊急出版された歌舞伎の人間国宝・坂東三津五郎(8世)の随筆『食い放題』である。この年、1月、京都・南座の初春興行『お吟さま』に出演中にひいき筋と食事に行った料理店で出された好物のフグの毒に当たって急死した。読書家で、先達役者の業績に通じ、役作りのためには国会図書館に通い詰めて資料を探すなど歌舞伎界の<生き字引>と言われた。文章もうまく、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞したこともあり、日本経済新聞夕刊の家庭欄の人気連載『食い放題』はちょうど30回目を迎えたところだった。

坂東三津五郎著『食い放題』

坂東三津五郎著『食い放題』       日本経済新聞社

「食通」だっただけに、おいしいもの、なかでも<一流の味>には詳しかった。口ぐせは「役者たるもの、どの店に行けば最高においしいものがあるかを知っておくべき」だった。ふぐ料理はひいき筋の経営者の誘いで、1月15日夜、舞台がはねたあとに中京区木屋町御池近くにあった老舗料理店に出かけた。同席したのは経営者の取り巻きときれいどころだけの気の置けない席だった。コースは旬のふぐのフルコース、三津五郎はさっそく「うんちく」を披露したことだろう。

皿に盛られたふぐ刺しは「てっさ」、ふぐ鍋は「てっちり」、いずれも<当たると死ぬ>から鉄砲(=てつ)になぞらえてそう呼ばれる。“裏メニュー”として出された肝を「これは毒があるくらいがいちばんうまい」と言ったのかもしれない。勧められたきれいどころも「へえ、おおきに」とはいうものの一向に箸が進まないのを尻目に、ひとりで数人分はたいらげたらしい。お開きになったのが10時過ぎ、すぐそばのホテルまで全員に送ってもらい、ほろ酔いの上機嫌で就寝したのは11時前後だった。

ところが午前3時ごろ、隣で寝ていた夫人が“異変”に気付く。ろれつが回らないなかで「水(が欲しい)」と聞いたのでコップに入れて渡そうとしたが手がしびれて持てなかった。慌ててフロントに救急車を頼み、かかりつけの右京区の病院に搬送したが間もなく息を引き取った。68歳だった。

なぜ詳しく知っているかというと、当時は新聞記者をしていて、京都支局でたまたま宿直勤務だった。三津五郎急逝という府警本部からの第一報ですぐ近くの料理店に取材に行ったが早朝だったこともあり閉まったまま。寒いなか、他社の記者やカメラマンと立ちっぱなしで待たされた記憶がある。店は営業停止になり、事件はその後、裁判となって京都地裁から大阪高裁まで争われた。マスコミは「有毒な肝を出したほうが悪いのか、食べ過ぎたほうが悪いのか」と<ふぐ毒論争>を伝え、訴えられた調理師の裁判が注目されたが高裁判決はたしか執行猶予付きの有罪だったか。

随筆『食い放題』に戻る。10年ほど前に早稲田の古書店の店頭に並んでいたのを見つけた。帯はなかったがなつかしい名前=坂東三津五郎だったので「ひょっとして」と思いながら手に取った。ひょっとしてというのは、ふぐ料理の随筆はまさかないだろうだった。ふぐ中毒で亡くなった直後の緊急出版だから当然、ないはずとは思ったが、それでもと。

冒頭に紹介した夕刊連載の『食い放題』は全260ページのちょうど半分で、直近の10年間に新聞、雑誌に書いた原稿が他に「しゅんの味覚」と「手料理の味」に分けて紹介されている。サンケイ新聞、朝日新聞、『ミセス』『婦人画報』『潮』『太陽』『小説新潮』『栄養と料理』・・・各社が出版に賛同し、転載を快諾したことがわかる。まずは『食い放題』から。連載30回目だったとあるから数えたが「私の食歴」から始まって「牛肉」までちょうど30が掲載されているから割愛されたのはなし。疑り深いですねえ。絶筆となった「牛肉」はこんな話である。

滋賀県の近江牛のなかでも最高の肉牛を生産する牧場があり、その肉を扱う東京の肉屋からというのを進物にもらったが不満だった。理由は肉が機械で切ってあるので味は三割落ちるから。京都での出演の合間に大津市にある直営店に出かけ、社長に切ってもらった。

刺し身用のひとかかえもある肉を横にさばいていく。肉と肉の間の膜の間に包丁を入れて行く。あんまり大きな肉をだんだん切っていくので
「もうそこらへんでいいですよ」
というと
「まだこんなところではない」
といって、まるで奥の方から宝物でも出すように切っていく。そして最後の肉のシンみたいなところを刺し身状に切り出した。
「そんなにいらない。私一人だから」というと
「これは捨てるところ、これから先が食べるところ」
と切ってくれた。
南座の楽屋で食べて驚いた。今までこんな牛肉の刺し身を食べたことがない。あんまりうまいから、弟子たちにも一口ずつ食べさせた。肉の臭味などなく、あぶらっけもなく、最高の刺し身だ。ただ残念なことは値段がわからないことだ。

見事にオチまでついている。

肝心のふぐ料理である。ふぐの二文字くらいはあるだろうと「冬」に狙いを定めた。ところが「しゅんの味覚」の冬のところには「大根と鷭」とあった。鷭(バン)は渡り鳥で秋から冬にかけて日本に飛来する。

昔といっても三十四、五年前のことだが、鉄砲好きの人から狩猟の帰りに、鷭という鳥をもらったことがある。焼いてしょう油をつけて食べたが、そのうまさはいまだに忘れられない。その後その鷭という鳥を食べたが駄目だった。理由は、鷭という鳥は米が好きで米ばかり食うのだが、戦争からこっち米を早く採り入れするので、鳥が渡ってきても米をくう期間が少ないので、鳥の味が違ってしまったらしい。(『きもの専科』)

追悼を兼ねた緊急出版は話題を呼んだろうが「フグ中毒で亡くなった歌舞伎役者」という事件そのものも忘れ去られ、老舗だった店も閉店となって久しい。名優がほろ酔い機嫌で帰ったホテルも建て替わって名前も代わってしまった。

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