池内 紀の旅みやげ(45) 大黒さま恵美須さま──福島県柳津
ふつうは「柳津(やないづ)の虚空蔵(こくうぞう)さま」。正式には円蔵寺の福満虚空蔵尊といって、日本三虚空蔵の第一だそうだ。
只見線の会津柳津のすぐ近く、開基が大同二年(八〇七)というから、とてつもなく古い歴史をもっている。只見川と柳津の町を見はるかす山腹にあって、石段をのぼっていくと、悠大な景色がひらけてくる。
虚空蔵を祀るのが七日堂、またの名が菊光堂で、毎年一月七日に催される「裸まいり」は有名だ。ふんどし一丁の男たちが午後八時の太鼓を合図にお堂に殺到して、押し合い、もみ合いして先を争い、天井から下げられた太い麻縄をよじのぼる。無事梁の上までのぼると、願いごとが叶えられる。外は雪と氷でも、堂内は男の熱気でムンムンする。
こちらが出かけたのは、季節外れの週日で、ほとんど人がいなかった。すぐ前の只見川がやけに広いのは、下流にダムがあって水がせきとめられるからで、水深のある湖のようだ。菊光堂は文政十三年(一八三〇)の再建というが、桁行十六間、二重大唐破風というつくり。実に堂々として、なんとも豪壮である。どうやって急な山の斜面に巨大な柱や梁を持ち上げたものか。薄暗いお堂に裸まいりの名残らしい太い縄が垂れていた。
円盤形の鐘一面に彫り物がしてあって、ロープを打ちつけると鈍い音がする。正面といわず、柱と言わず、一面の千社札がはりめぐらしてある。お堂が大きいので、拝殿の奉納絵馬もグンと大きい。畳二枚ないし四枚分もありそうなのが天井近くに掲げてある。安永といえば一七七〇年代だが、黒ウルシの大板に金と白と紅で龍が描いてある。金がややくすんだほかは、白、紅とも昨日色づけしたように鮮明である。絵馬職人が定番の龍王を描いただけだろうが、長い胴、カッと口をあけた頭、尖った牙、鋭い鉤爪。構図が大胆で、シュールな絵のようだ。
五条の橋の上の義経と弁慶では、義経が欄干に片足立ちして、目玉をひんむいた弁慶がナギナタを取り落とした一瞬を絵にしており、迫力ある躍動感がみなぎっている。
福満講という信者のグループがあって、支部が何十周年かの記念額を奉納した。名前だけではつまらないという声が出たのだろう。羽織袴に着飾った男衆がゆっくりとお詣りをするぐあいに描かれている。先頭は白髪の長老格で、杖をつき、やや背中が曲がっている。髪はオールバックか七三だから、明治になってからだろう。絵師は人それぞれ、また羽織の紋まで描きわけるのに苦労したのではなかろうか。
上に気をとられていて、首が痛くなった。首筋をもみながら視線をもどしたとたん、満面笑みをたたえた顔と出くわしてギヨットした。太い円柱の横にかくれぎみだが、おなじみの七福神のご両人、大黒さまと恵比須さま、大黒天は俵に乗り、恵美須神は足を組んで腰かけたかたち。両名ともほぼ同じ高さで並んでいる。大黒が右手に打出の小槌、恵美須が釣り具とタイをかかえた姿はおさだまりのとおり。
一本から彫り出し、ポッテリとした福耳、ゆったりしたお腹、衣服紋、そして福々しい笑いを彫りつけた。よほどの工匠とみえて、全身、細部、表情、どれといわず大らかで自然なつくりで、こちらもついニッコリして頬っぺたや耳たぶを撫でたくなる。ながらく諸(もろ)びとに撫でられてきたのだろう。耳と頬とお腹と小槌と魚がテラテラして光っている。大黒天の足下の俵には金袋がつまっているようで、これも撫でまわされてテラテラ。一般にリチギにお寺参りして福を願うような人は金袋に縁がないものだが、これだけみごとな福の神さまに対面すると、信心のお返しがあるような気がしてくる。
ベランダ状の大きな縁に立つと、夕陽が川面を染めていた。無数の三角波がキラキラと輝いている。かたわらのじいさんによると、水深のある魚淵にはウグイがいるそうだ。ハヤともいうし、生殖期になると腹に赤い線が出るところからアカハラともいう。体長三十センチもの大きいのがウジャウジャいるが、天然記念物なので釣れない。近くの温泉に泊まると、塩焼きが出るそうだ。お膳のハヤは天然記念物ではないらしい。
しも手に柳津商工会の歓迎のアーチが見える。かなり古びているが墨の雄渾な字体で「夢心」「末廣」「蛍川」などがアーチの上で躍っている。虚空蔵さまの町は地酒の里でもあるらしい。
【今回のアクセス:会津若松から只見線で約一時間。会津柳津下車、徒歩五分】