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私の手塚治虫 (20)   峯島正行

「人間ども」から「ジレッタ」へ
前回まで、手塚治虫の長編漫画「人間ども集まれ」について書いてきたが、その底本としたのは、1999年(平成十一年)に、週刊漫画誌「漫画サンデー」の版元、実業之日本社から発行された単行本「人間ども集まれ 完全版」である。
「人間ども集まれ」は、連載終了した直後の一九七三年に、まず、単行本として出版されている。ただしこの版は、作者が最終部を、大幅に改編し、雑誌に連載されたものとは結末が、全く違っている。そこでは、結局、無性人間は無性人間のまま、終わりを迎えている。
この単行本はその後、文蓺春秋ほか、幾つかの社から出版されたが、そのつど、手塚は少しずつ手直しをしているが、いずれも、実業之日本社から出た単行本を基としている。最後に講談社版の全集にも収録されたが、それも、同様である。
その全集版の後書き、で、手塚は次のように書いている。
「この漫画のラストは、少し書き直してあるのです。連載の最終回はもっとハッピーエンドでした。それを、このような突き放す結末にしたのは、カレル・チャペックの『山椒魚戦争』のラストに感銘を受けた影響があると思っています。今度の全集の上梓のさいに元にもどしたら、という話もあったのですが、あえて単行本の形のままで採録しまた。僕はこういうおわり方の方が好きです。」
しかし、雑誌の終わり方も捨てがたいという読者が沢山いたところから、旧漫画サンデーの編集者が、苦労を重ねて、元の形に再現させたのが、「完全版」だったわけだ。
私は手塚と違い、やはり雑誌の終わり方の方が好きである。絶望のまま終わるより、人類の未来に希望を持たせた方が、救われると思うからだ。

ところで、手塚が、機械工学的なロボットではなく、無性人間という医学、生理学的なロボットという発想を持つに至るには、ある必然性があった。
手塚は、医学者としては、生物の精子については、すでに専門家であったのだ。前にも述べたように、彼は三〇代の初め、昭和三〇年代に入ってから、多忙を極める漫画執筆の間を縫って、ひそかに奈良大学医学部に通い、博士論文の準備をした。そして、昭和三六年(一九六一年)に「異型精子細胞における膜構造の電子顕微鏡的考察」という論文で、医学博士の学位を取った。論文は難しそうな題名だが、要するに「タニシの精虫の研究」である。
手塚は、人間の生命の根源は精虫にあり、という認識があり、その研究をすることは人類進化の解明への道につながるという考えがあった。当時の博士号は、今日のように、大学院を卒業すれば博士になれる、というようなものではない。専門的な研究の成果を、論文にまとめ、教授会にさしだし、厳重な審査のうえで、合格が決まる。だから今日の博士号を取るよりずっと厳しかったのである。
手塚がわざわざ、タニシの精虫の研究したのか、という問いに、手塚は次のように語ったと、虫プロ出身の作家、石津嵐が紹介している。
「人間の発生の仕組みを知ろうとしても、なかなか新鮮なサンプルがない。ところが、相手がタニシとなれば、誰はばかることもなく切りきざんで生殖器の標本にできる。人間の精子の具合も、タニシのそれも、基本的には同じようなものなので、タニシをもって人間のそれを類推できるのである。」(「秘密の手塚治虫」 太陽企画出版 昭和五五年)
つまり精虫についての専門家的発想から、精虫の突然異変、それから生まれた無性人間、それをロボット化して使うという発想へとつながったのではないかと、私は考える。
その発想を進展させたのは、カレル・チャペックの、『山椒魚戦争』と言っても間違いあるまい。人間自ら創りだしたものよって、滅びるのではないかという手塚の危機感が、山椒魚に代わって「無性人間」を登場させたのである。
この手塚のような感覚は現代にはなくなってしまっただろうか。

現在のロボットの発達

ある夜何気なく、テレビのスイッチを入れると、「報道ステーション」司会者の古舘逸郎キャスターと孫正義がにこやかに話し合っている姿が映しで出された。
二人の間に、小学校一年生ほどもあろうと思われる、ロボットが置かれていた。もう一人新聞記者の常連解説者を加え、三人がロボット君を囲んで談笑していた。
真っ白で、すべすべした皮膚の人形のようなそのロボットは、もうある種の質問に答える能力も、手足もある程度は使える能力を持っている。
三人の話は、そのロボットの使い方について愉快そうに話している。孫氏はこのロボットを、今年は今後の各方面の需要、応じて売り出すつもりだと語っている。
ただこのロボットは、命令は聞いて、その言うままに動くだけだが、それは人間の左脳的な働きだけしかしないからであって、もっと研究して、右脳的な働きもできるようにすれば、病院の患者の感情的な事や、痛い、とか、かゆいとか、五官の働きについて、患者とコミュニケーションが出来るようになるだろう、そうなったら介護士に代わる、と孫氏は自賛していた。マスコミ側の二人が、それを喜んで肯定していた。
二千六年一一月三日付朝日新聞は、東大合格を目指す人工頭脳「東ロボくん」が、今年の「全国センター模擬試験」を受験した成績を報じていた。(東ロボくん)というのは、国立情報学研究所などが、東大合格を目指して、始めた人口知能開発プロジェクトのことだという。それで今年の成績は、偏差値47で、東大合格までにははるか及ばないが、私立大学ならば、全国五八一大学の、八〇パーセントに及ぶ四七二大学で、合格可能性である、「A」判定だったという。すべての成績で昨年を上回った。
プロジェクトのリーダーという、荒井紀子国立情報研究所教授は、人工知能の限界を明らかにするのが、プロジェクトの目的で、そのうえで、人間と機械がどう協調できるかを明らかにすることが、日本経済成長のカギという。
ここまで技能が進んだいま、今後さらに進化を遂げ、ついには、東大合格する迄に至ったとしたら、どうなるか。ロボットに、応用したら、人間と変わらぬロボットが出来てしまうではないか。
そしてもし、それが悪用されたら、カレル・チャペックの、R・U・Rの世界が現実化されるやもしれない。
それ以外にもすでに、前にも述べたように生理科学によって、すでに、クローン羊やクローン牛が存在し、クローン人間をつくる事さえ可能になっている時代である。
わが手塚治虫の哲学は、生命を大切にすることで、「心なき科学技術の発達は必ず人類を滅亡させ、地球を滅ぼす」、という思想である。
無性人間というロボットが、いかに人類の滅亡に向かって、人類を歩ませたか、前項で詳細に見てきた。
だから新聞テレビのジャーナリストのように、有能なロボットの技術進化を喜んでばかりはいられないということだ。

休載、減ページが影響

「人間ども集まれ」は、人間の未来をも見通す手塚の思想のもとに、気宇壮大な舞台の上で、人間のあらゆる姿を描きながら展開する巨大なSF人間喜劇である。手塚の最大傑作と、私は確信している。
ただ気になるのは、無性人間を造る元になる精子が、ただ一人の人間のものだという点に、物語の脆弱さを擁しているとも考えられる。こういう小さな欠点を孕みつつも、ゆるぎない傑作といえる。大人漫画に挑んだ手塚の作品として成功しているばかりでなく、手塚の全作品のなかでも傑出した作品と思われる。にもかかわらず、この作品の連載中も、終わってからも、作品の質に比べ、あまり話題にならなかった。時に好意的批評もあるにはあったが、他の少年向けの作品ほど、話題にされることはなかった。何故か。私は次のように類推する。
それは、連載中に休載のときが多く、六五回を完成するまで、一二回の休載をしている。
発端ともいうべき連載開始の二週目で、休載となっている。一月一週目に売り出された一月二五日号で、連載開始、手塚の成人向けの漫画は、どう発展してゆくか、読者は待っていたはずである。その二回目が休載となったのである。期待した読者の多くが、がっかりしたに違いない。読者を失った数は大きい。
連載は、一回一〇ページの約束であったが、連載六五回のうち一〇頁描いたのは、連載六五回のうち一二回しかない。中には一一頁一二頁とサ-ビスしてくれた週もあるが、大部分は、七、八頁、四頁とかと五頁で終わっている週も散見される。
このような状態では、いかに傑作であろうと、読者がついて行きにくい。手塚が大人向けの本格的長編漫画を描くと知って、期待した読者も離れて行ったとしてもしようがないだろう。まことに残念な経過というか成り行きだった。
こうなったというのも、漫画集団が培ってきたナンセンス漫画の手法をとり、先に言った如く、吹きだしの言葉まで、全部書き文字にするという手法をとったがために、どうしてもその週の一番最後の仕事となり、ついに時間切れとなる場合が多かった。
手塚としては、ナンセンス漫画的手法で、長編漫画を書くという意欲のために、そうなったといえよう。
もう一つ、世間の評判を勝ち得なかった理由は、大人漫画と子供漫画との世界の違いである。その頃のナンセンス漫画の雑誌の発行部数は、二、三十万部といったところだ。「漫画読本」「漫画サンデー」、「漫画タイムス」だってそんなものだったろう。
少年漫画雑誌は百万の単位で売れていたのだ。のちには数百万を誇る雑誌も出た世界である。
その少ない部数で、漫画界の顔であり続けたのは、書き手がの多くが新聞の連載マンガで、知られる人だったことによると思う。
ともあれ雑誌で大人気にならないものは、単行本になっても、なかなか大人気を売ることは難しい。その点では、「人間ども集まれ」は健闘してきたと思うし、今後,その内容から言って取り上げられる機会は多いと思われる。

「上を下へのジレッタ」の連載

さて、 「人間ども集まれ」の次に、手塚が「漫画サンデー」に連載した長編漫画が、「上を下へのジレッタ」である。同作は昭和43年8月14日号から昭和44年9月10日号まで連載されたものある。

小百合チエとジミー・アンドリュースと記者会見する門前

小百合チエとジミー・アンドリュースと記者会見する門前


この作品が書かれた時代は、マスコミが沸き立ち、テレビ各局が並立、繁栄を競い、出版では、週刊誌は凄い勢いで伸びているというマスコミが過大な影響力を持った時代だ。
テレビを中心に芸能界が沸き立ち、渡辺プロという存在が、多くのタレントを擁し、マスコミに大きな材料を提供していた。
またこの時代は文学、特に大衆、娯楽小説の全盛時代で、時代物、現代もの、推理小説、果てはSFまでが、多くの読者をつかむという時代だ。また漫画は、既にみてきた通りの繁栄ぶりだった。
この時代は、マスコミを動かす多くのジレッタント的ヒーローが出現した。
もっと具体的にいうと、この時代的背景のもと、テレビや芝居の演出もすれば、小説やエッセー、脚本も書く、歌謡を造ったり、歌ったりという万能型の才人が活躍した。
野坂昭如、寺山修司がその代表といえよう。
この漫画の主人公、門前市郎も、その時代の万能型の才人で、特にテレビの売れっ子ディレクターである。
そしてこの時代は、七十年安保に向かって学生運動が、激しく沸き立つとともに、新宿にフーテン族が出現するといった、まさに、“上を下への”騒然たる世相だった。
政治的には、自民党が破れ、社会党内閣ができたり、東京都知事に、進歩派の美濃部亮吉が、当選するといった、従来のレジームが大きく変貌を遂げる時代だった。

小百合チエのポートレイト

小百合チエのポートレイト

経済的には繁栄を続け、大阪万博の計画も進んでいた。
小説の世界では、SFが文壇で、市民権を獲得、変身とかタイムマシンとか、を使った物語が、若者をとらえていった。
「上を下へのジレッタ」という漫画は、この時代を戯画化してとらえた、長編ナンセンス漫画といえよう。そのナンセンスの象徴が主人公の門前一郎の行動というわけである。話は、当時から盛んになった、女性が美容のため、カロリー制限したり、食べ物を減らして、痩せることに努力する風潮に対する強烈なパロデーが、この長編の始まりである。

空腹になると超美人に

主人公の門前が演出した、テレビドラマが放送された。それは男女の性交場面が、リアルに扇情的に写されていた。抗議の電話がテレビ局に殺到し、電話回線が切れることが心配された。これを見た局のお偉方、すぐ演出を変えるように命令した。それで演出を変えたが、結局訳が分からないうちに、1時間の放送は終わった。テレビ局中は上を下への大騒ぎだった。
局のお偉方が憤激、門前は責任者として、制作局は首、他の放送局もすべて締め出しということになった。
ところが一方、この放映を喜ぶ人々も多く、視聴率調査会社の記録は50パーセント超えた。局のお偉方はそれを聞いて、門前の馘首を取り消すと言って来た。門前は平然とその最契約を断った。
しかし、門前はそれで引き込むような男ではない。騒ぎの間に平然と連載小説を書いて、雑誌社に渡すくらいの度胸もある。

得意満面の門前市郎

得意満面の門前市郎

今を時めく、竹中音楽プロで、今まで覆面歌手として売っていた「晴海なぎさ」を放り出したという話を聞いて、かねてから竹中プロに反感を持っていた門前は、この問題は何かの企画になると、鼻をうごめかす。
晴海なぎさは竹中の子飼いの歌手で、素顔を見せないことでも有名だった。その辺に秘密がありそうな気がして、工夫を凝らして彼女を使って、ひと儲けしようと企んだのであった。
ただちに彼女とレストランで会う約束をとる。そこに現れたのは、世にも稀なブスの大女であった。さすがの門前も椅子から落ちるほど仰天する。彼女の素顔を見させない竹中プロのやり方も、納得できた。しかも田舎者丸出しであった。
自分の故郷に、スター歌手とともに、巡業に行ったとき、ちょっぴりでいいから舞台で顔さ見せろという父親の要請で、舞台で覆面を取ったっ瞬間、満場お笑いとなった。つぎのステージで、スターの大歌手が出ても笑いが止まらなかった。その為、彼女は直ちに、首になったのだった。
門前が、整形はしないのかと聞いても、 「自分の信念として、するつもりはない」と自分のブスぶりを認めようとしない。さすがの門前もその強情振りにお手上げだったが、彼女のレコードの売り上げを聞くと、一番売れたのが十一万枚、次が七万枚、次が五万枚だという。
いい線いっているじゃないかと、彼女の歌を聞いてみることにした。ピアノの前で歌わすと結構いける。歌わせつづけると、彼女はしきりに空腹を訴える。ピアノに向かいながら、門前が取りあえず水でも飲んで来い、というと彼女は駆け出す。その瞬間、彼女がとてつもない美女に変形している。驚いた、門前が追いかけてゆくが、彼女水をがぶがぶやったとたんに、元のブスに戻っていた。
「あたし。おなかが減ると、人相が変わるんです」
それから何曲も歌わせて、空腹の極限になると、俄然、人相も体格も変わった。顔は絶世の美女、体型は可憐そのものに一瞬のうちに変わった。仰天した門前は「奇跡だ」と叫び、一計を案ずる。
門前は彼女と契約を結ぶ。その内容は超美人に変化した時にのみ契約が有効になるというものだった。
「今日から晴海なぎさは消え、新たに小百合チエが誕生するんだ。君を責任をもってスターにのし上げてみせる」
直ちに門前プロを設立、その披露と、新人歌手の紹介を兼ねて、ホテルの広間で、披露宴を、マスコミ人種を読んで開催する。集まった人は皆、小百合チエの、美貌に驚く。大成功と、門前は喜ぶが、小百合は、死にそうな状態で、やっと解放されて、がつがつと食事をすると,彼女は元の大女に還った。
彼女は怒りくるったが門前は、平然として「太ったブタより痩せたソクラテス、と誰かが言ったが、晴海なぎさより、小百合チエの方がいいということはすぐにわかるさ」と平然という。

世界的スターとの共演

門前は、ブローウェイのミュージカルの大スター、ジミー・アンドリュースを日本に呼んで、チエと共演させて、一挙に、チエをスターダムにのし上げようという野心を抱いていた。チエを絶食させて、美人にして、ミュウジカル、「ツタンカーメン」衣装を付けさせて、写真をとり、それを、ニューヨークにいるジミーに送ることにした。
その写真を見て、ジミーは一遍に気に入り、声を上げて喜んだという電話が入った。ジミーが電話に出て、小百合チエの声を聞きたいといった。彼女が電話に出ると、キミノシャシンミタ、スバラシイ、タダチニ、ニホンニユク」という。結局、今夜のヒコーキで来日することになった。世界的有名な、プレーボーイであるジミーが気に入るとなると、世界的ニュースである。門前は飛び上がって喜んだ。
その噂を聞いたフアンが、ジミーの到着時間に、続々と空港に集まって、お騒ぎとなった。どんなトラブルが、生ずるか分らない。そこで、三派全学連のデモを、その時間に合わせて空港で行わせ、その騒ぎの間に、秘かに、ジミーを連れ出す作戦を立てた。学生を動かすボスとも通じ合っている門前だった。
彼がジミー来日にあたって、最も苦労したのは、少しでものんだり、食ったりすると忽ち、ブスの大女に戻ってしまう、小百合チエの美貌を保つことであった。空腹にたえかねて、門前の知らぬ間にものを食って、晴海なぎさに戻ってしまうのを防ぐため、運動をさせたり、近所を駆けさせて、美人を維持することであった。

大スターの秘密

ともあれ、無事に二人は会うことが出来た。チエの美しさに魅せられたジミーが、いきなり彼女にキスをした。すると彼女はジミーの舌を噛み切るほどの力でかえしてきた。ジミーは、悲鳴を上げた。ついてきたジミーのマネージャーは舌を食われなかったかと、顔色変えた。
実は顔色変えるほどの秘密が、ジミーの方にもあったのだ。マネージャーはこんこんと彼を諭している。
「いいかジミー、浮気するのは構わんが、女と付き合う時はほどにほどにしろ。君のお面相は、マーマーだが、声ときたらブルドーザーのゼンソクだ。だから俺はコンピューターの力で、人工的に天下の美声を造りだし、精巧な小型マイクを、君の喉に植え込み、歌う時はコンピューターを操作して、声を出すんだ。
君は作られたスターなんだ。先程、彼女が君の舌をかんだ時、はっとなった。もし激しいキッスをして、女に口の中にマイクが吸い込まれたら、どうするんだ」
「そんなことと考えられないよ」とジミーは平気で、チエとデートに出かける。空腹で今にも倒れそうな美女のチエに、一層の愛しさを感じて
「君はまるで熱帯魚のようにひ弱そうだ」
と労わるのであった。それを見ていた門前は、あと三日ほど食わずにがんばれ、そうすれば、新たな契約を結ぶことが出来ると、つぶやくのであった。
この辺りについて、作者の手塚は次のように書いている。
「ぼくのよく書く変身ものでも、腹がへったら、美人になる、というアイデアは、自分ながら上出来だと思います。女性が美人になるために減食をしたり、カロリーをとらない、という涙ぐましい努力をパロッたものです。」(講談社 手塚治虫漫画全集、上を下へのジレッタ2 あとがき)

天井から奈落の底に

門前は、マスコミの注目の的だった。ジミー・アンドリュースとどんな仕事するか、期待を集めた。その間チエは、何度か失神し、体重は15キロもやせた。ドクターストップの寸前に、ちょっと粥とかスープを飲ませるだけだった。
ついにジミーとの契約が成立、記者会見で、発表することになった。ジミーとマネージャー、それにチエ、そして門前が多くの記者連の前に姿を見せた。
発表は、この正月の3日間、小百合チエのワンマン・リサイタルを催し、ジミーが客演する。さらにこの公演の後、小百合チエはブロードウエーに行き、ミュージカル『ツタンカーメン』で、ジミーと共演する、という内容であった。
発表が終わると、一斉に「オーッ」という嘆声が上がった。フラッシュの光が、溢れる中で、今や門前市郎は、英雄であった。竹中プロなど、糞を食らえ、だった。
いよいよ問題の正月が来た。相変わらず小百合チエは、空腹と戦い続けながら、正月二日のジミーとの共演の日を待っていた。運命の日を迎えた。ジミーの到着が遅れたが、無事開幕となった。まずジミーが、満員の客を前にして、自己紹介し、私の日本の友達を皆さんに紹介しますと、チエを舞台に迎えた。満場は水を打ったように、静まった。誰もがチエの美しさに打たれたのだ。
それからジミーが一曲歌い、満場を酔わせる。ここまでは完ぺきな成功だった。だがジミーが歌い終わって、次に出ようとするチエにキスした。ところが飢餓状態にあるチエが思いきりキスを返した。
その瞬間ジミーの喉に植え込まれた、マイクが、チエの喉に吸い込まれた。
「大変だ、俺の喉のマイクをチエが食ってしまった」とジミーは訴える。ジミーのマネージャーがチエにおなかがおかしくはないか、と聞くと、お腹が重苦しい、と答えた。「それはあるものを飲んだからだ。それを吐き出せ」とマネージャーは迫る。
ジミーは「いっそのこと地声で歌うか」というが、「そんな声で舞台に出たらハメツだ」
ジミーの秘密を知らなかった門前が「何事か」と迫る。その間に吐き出すために水を飲んだチエは、元のブス女に帰ってしまった。

失敗して奈落へ落ちる門前市郎

失敗して奈落へ落ちる門前市郎

万事休す。門前がチエを攻めている間に、電話で飛行機の予約した、ジミーとマネージャーは、劇場から逃げ去った。
客席は上を下への大騒ぎとなったのは勿論だ。門前は、舞台で、「突然の事故により、公演は中止」と叫び、一挙に奈落の底に落ちていった。その頃はもうジミーは機上の人となっていた。翌朝の新聞は、門前の失態をつく記事で満たされた。彼は得意の天井から、一気に奈落に堕ちたのだ。
門前は、もはや復活することは不可能だと誰もが思った。(続く)

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