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書斎の漂着本(63)蚤野久蔵 アラスカ

太平洋戦争序盤の昭和17年(1942)7月に朝日新聞社の「時局新輯」として発行された『アラスカ』である。大きさはB6版ブックレットサイズ。なじみの薄い輯(=しゅう)は、集めるという意味で、出版社などでは編輯部とか編輯担当などと使われた。右下に大きく「20セン」とあるのは定価20銭の意味。『旧英領ボルネオ』、『ビルマ』、『蘭領ボルネオ』、『南方の資源』、『南方圏のゴム資源』などに続くシリーズ33冊目で、巻末の近刊案内には『米英軍用機識別図説』、『決戦迫る欧州戦局』があるなど戦時下の出版状況の一端を伝える。

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前年12月にハワイ・真珠湾を攻撃した日本陸海軍は一気に戦線を広げ、この年1月マニラ占領、2月シンガポール、3月ジャワを制圧、6月には北太平洋アリューシャン列島のアッツ、キスカ両島を占領した。戦史では両島占領はハワイの西にあるミッドウェー島を押さえるための“陽動作戦”だったとされる。ならばさらに離れた北米極北のアラスカがなぜ時局に関係するのかをいぶかる向きもあろうから「目次」を紹介しておきたい。

一、 北方戦場としてのアラスカ
(1) 島嶼的地勢
(2) 戦場環境としてのアラスカの気候
二、 アラスカの軍備
三、 アラスカ史とアメリカ帝国主義
四、 アラスカの現勢
   結語 

冒頭の「北方戦場としてのアラスカ」では
十二月八日畏くも宣戦の大詔渙発されるや、帝国海軍は電光石火、敵太平洋作戦の核心たるハワイを猛襲し、史上嘗てあらざる戦果を得て、西太平洋の海上権は開戦一日にして我が手に確保されたのであった。
から始まり、ほぼ1ページを費やしたあと
伝え聞く彼(米軍)の対日進攻路の二つは難攻不落と宣伝されたハワイの破綻によって、また西南太平洋の壊滅によって、一場の夢と化した。然らば残されたる一コース、北方進攻路は如何・・・
としてようやく本題に入る。

カナダ、アラスカ、アリューシャンを含む連鎖的地帯はあげて敵性空間である。しかもその位置は日米間の大圏コースに近接し、約4,900哩(マイル=7,900キロ)の距離は彼我最短のコースである。既に太平洋主力艦隊の根幹を失へる彼(米軍)が堂々たる正攻法を避けて、この地、この海に小艦艇及び空軍による所謂(いわゆる)ゲリラ戦法を採るであろうことは考えられる。この北辺不毛の地も、やがては戦場として脚光を浴びるであろうことは想像していたところである。(中略)カムチャッカよりカリフォルニアまでの北太平洋地帯は、まさに我らの東亜建設戦構想の中に導入さるべき要求を有する空間であったのである。国民の関心が一斉にこの新戦場たる北方に向けられた今、アラスカの事情を紹介することは筆者の深く光栄とするところである。

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見開きの「アラスカ要圖」には占領したばかりのアッツ、キスカ両島を左下枠外に熱田島(アッツ島)、鳴神島(キスカ島)と表記しているが、実際にはこのはるか左=西に位置しているので、文字通りの<付け足し>である。

戦史や外交研究家でもないのにこの本を入手したのはどこの古書店だったか記憶にない。大枚をはたいたのなら覚えているだろうから店頭の「均一棚」にあったのだろう。アラスカもそうだがパタゴニア(南米)とかラップランド(北欧)やアフリカの奥地といった辺境に興味のある<ヘンキョウ趣味>ゆえ、内容はともかく「アラスカ」という題名に惹かれたのは間違いない。

どうしてこの本を取り上げる気になったかというと、著者の小葉田亮(あきら)という人物がアラスカ研究の専門家かどうかを調べて疑問を抱いたから。小葉田は昭和10年に京都帝大文学部地理学教室を卒業、滋賀県立長浜女学校を経て執筆当時は兵庫県立師範学校で教鞭をとっていた。論文としては「本邦旧城下町の一考察」や、北海道に残るアイヌ語源の「ナイ、ベツ」の地名論考、「国土計画としての行政区画問題」などがある。アイヌ語研究では金田一京助らと研究誌で肩を並べていることからもイメージとしてはこつこつと現地に足を運びフィールドワークを重ねた研究学徒だったろう。同じような本では『アラスカ』が出た翌年の昭和18年に東京・目黒書店の「新世界叢書」に『ベーリング海』があるようだがアラスカなどへの調査行の記録はみつからなかった。

そう考えると著者の小葉田は資料をもとに一般的な地理や地誌部分を書いた。さらに軍事戦略などの情勢や地政学部分はたとえば陸軍参謀本部などに近い人物やグループが執筆したのではないかと。つまり<合作>である。体裁はあくまで小葉田亮著としながら全体はギリシャ神話に登場する伝説の生物に由来する「キメラ」のような「木に竹を継いだ」仕上がりである。

その根拠のひとつは「アラスカの軍備」で
「海軍ではアラスカ沿岸がシヤトル(=シアトル)第三海軍区に属し、交通商業と同様に全アラスカ軍事の根拠地である。海軍基地は空軍基地と潜水艦基地に分かれるが、アンネット島が空軍基地である以外はヤポンスキー島、コヂャック島、ウナラスカ島、キスカ島いずれも両様の基地である」
「ウナラスカ島のダッチハーバーは最も重要視される海軍基地である。基地は島の北岸の良湾内の小島に位置し、小艦艇が停泊できる。一昨年8月、鎮守府が設置され昨年2月18日大統領令により防備区域となり秘密工事が継続されてきた」
「アンカレーヂ(=アンカレッジ)はクック入江に面し、アラスカ鉄道に沿うアラスカ陸軍の中枢地である。アーノルド少将の調査の結果、一昨年来エルメンドルフ・フィールド飛行場が拡張整備され、既に大型爆撃機の発着も可能になった。このため1,300ドルの経費を計上したという。歩兵、砲兵を合わせて764人の兵員と30人の将校も派遣されていたが、恐らくさらに多数の部隊が増強されるであろう。飛行機も今春までには1千機を格納する施設が完成する由である」などなど。

滋賀の女学校や兵庫の師範学校で教鞭をとっていた著者はあくまで<一介の地理学徒>に過ぎなかったと思われるのにこうした最新の軍事情報を得ていたとは考えにくい。

最後の「結語」も<取ってつけたような>内容である。
「対米戦争は短年月に終止されるべくもない。アラスカの領有の可否は別として、その戦場化は必至である。更にまた大陸に囲まれた未踏空間北極も永遠には極地として残存され難い。いつの日か北極が世界の交通の要衝化せんとすれば、アラスカ、シベリヤの地理的意義は倍加されよう。今聖戦の目的たる大東亜共栄圏の確立は今更説く要もないが、その範囲は有限固定のものではなく、生々発展すべき皇道世界の中核である。(中略)大東亜の外殻アラスカの実情を認識し、以て将来の国民飛躍の資たらしめたい。(完)」

実際のところ著者の小葉田はどんな原稿を書いたのかについて興味のあるところではある。しかし残念なことに「昭和18年応召、終戦の年に戦死」という簡単な略歴だけが残る。

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