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書斎の漂着本(76)蚤野久蔵 世界最長の徒歩旅行

ジョージ・ミーガンの『世界最長の徒歩旅行』(中央公論社、1990)は、副題のように南北アメリカ大陸縦断3万キロを<ひたすら歩き通した>ノンフィクションである。イギリス生まれのミーガン青年は実に7年がかりで八つのギネス記録を打ち立てた。

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出発点は南米アルゼンチンの最南端、ティエラ・デル・フェゴ本島にある町ウスワイア。町はビーグル海峡に面しており、いくつかの小島の先はドレーク海峡をはさんで南極と対するまさに<地の果て>である。記念すべき出発の日は1977年1月26日、真夏なのにびっしり霜が降りたテントを畳み、簡単な朝食のあと野営道具を手押し車に乗せると彼らは北進を始めた。

えっ、彼らは?よく気付かれましたね。そう、二人。しかも・・・

ぼくたちが第一歩を踏み出した途端、雨が降り始めた。立ち止まってブルーのかっぱを身につけ、いささか重い足取りで取っつきの小高い丘を登って行く。なにもかもが泥だらけになった。こうして出発して、立ち止まってまた歩き出すのに二十分もかかってしまった。この時、まず第一の出来事が起こった。改めて歩き出して二、三百メートル進むか進まないうちに、ぼくの背後でヨシコが小声で言った。「ジョージ!だめなの。わたし、とってもついて行けないわ」振り返って見ると、ぼくの道連れは大粒の涙をこぼして泣いている。かわいそうなヨシコ!彼女は地の果てまでもこのぼくについて来て、こんなにもきびしい現実に直面しているのだ。何とかして彼女を元気づけなければならない。すぐさまこのような状況にもっともふさわしい形で彼女を慰めた。「大丈夫だよ。ぼくがついているから。キスでもしようよ」と言って。

えっ、キスでも?彼女は恋人?よりによってこんなところへなぜ?・・・と、疑問だらけだろうから、「道連れのヨシコ」は誰かを、もう一冊の本を紹介して種明かししておく。

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この『気楽に冒険』(講談社、1991)を書いた松本ヨシコがその道連れである。「へんなガイジンとふたりっきり」「ずっこけアメリカ大陸徒歩縦断記」とある。なれそめは、名古屋でごく普通のOLをしていたヨシコが伊豆へドライブに行き、雨の中、国道脇に立っていた外人ヒッチハイカーを拾ったのが運命の出会いだった。もちろん、すぐに恋に落ちたわけではない。本屋で英語の辞書を買ったものの会話は無理で、二等航海士だというジョージを名古屋まで送って行き別れた。その三カ月後に再びジョージが日本へやって来て、ふたりで富士山に登った。ところが頂上に登ったのはヨシコだけでジョージは体力回復のためとかで下の休憩所で待っていた。名古屋港での別れ際、ジョージは突然「南アメリカへ一緒に行かないか」とヨシコを誘った。ヨシコは英語がしゃべれないし、ジョージも日本語が話せないから意思の疎通が難しい。一瞬の沈黙。「このガイジンは、今、私になんと言ったんだ?」と考える前に「行く。もちろんよ」と答えていた。

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ジョージがヨシコと富士山に登ったのはどうやら徒歩旅行のパートナーとして考えていたからだ。ヨシコは<勝手に合格の判を押した>と書いているが、もちろんすぐに出掛けたわけではない。それから1年以上の文通を経て、イギリス・レインハムにあるジョージの養母(叔母)を訪ねたヨシコは航海から戻ったジョージと再会した。生後すぐに母親が亡くなり、王室専属のオーボエ奏者だった母の兄である養父に引き取られた。養父の病死後は看護師だった奥さんに育てられた。つまり実母の兄嫁である。独り暮らしだった養母は遠く日本からシベリア特急や飛行機を乗り継いでやってきたヨシコを大歓迎してくれた。ところが遠征計画で頭がいっぱいのジョージは「早く婚約しなさい」という周囲の勧めには「婚約なんてなんの意味があるんだい?ヨシコとぼくの間にそんなものは必要ないし、婚約なんてくだらない習慣にすぎないよ」と耳を貸そうとはしなかった。ジョージは船員としてアルゼンチン・ブエノスアイレスまでは船で行くことになったので、ヨシコはあとから飛行機でイギリスを発つことになった。「色恋抜きのこの関係、この先どうなるの?」というヨシコの本の小見出しだけを紹介しておく。

ジョージたちの徒歩旅行はこうしてスタートした。初日、「追い剥ぎ」にピストルを突き付けられたが<言葉が通じなくて>先方が退散するという珍事もあったが、連日、風と雨、泥道に苦しめられた、というか“格闘”した。風雨がひどい吹き降りの日にはガウチョ=羊飼いの小屋に避難し、親切な農場に泊めてもらった他はテント暮らしが続く。ようやく九州ほどの大きさのフェゴ島451キロを横断するのに1カ月以上かかった。ヨシコは<世界で最初にフェゴ島を歩き通した女性>になった。

ここまで書いて考えた。全行程3万キロだもの、どうしようかと。で、皆さんはこの二人がその後どうなるのか知りたいところだろうと。わかりました。ならばあれこれ書くより、同じく『気楽に冒険』のイラストから。ヒッチハイクのところで紹介し忘れたが「本文イラスト:ジョージ・ミーガン」つまりご主人である。9月16日、場所はアルゼンチン・メンドサ市の軍警察署。シャツとジーンズ姿、ヨシコは野の花を髪に飾っただけだった。二人が正式書類にサインすると、晴れて夫婦となった。もうひとつ、ヨシコはこのときお腹に赤ちゃんがいた。夫・ジョージを見送ると出産のため、いったん日本に戻った。

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ジョージの旅は続く。ボリビア、ペルー、エクアドル、コロンビア。パナマで長女を連れて再会。その後、メキシコからアメリカへ。この広大な国は南回りでヒューストン、ニューオリンズからニューヨーク。ここから五大湖の南、デトロイト、シカゴを経てバンクーバーまで北米大陸を横断した。かかったのは5か月、各都市ではTVインタビュー12回、ラジオ番組に19回出演、数回の講演をこなした。もちろんすったもんだ、あれこれあって、二人目の長男誕生・・・。そして1983年8月19日、表紙の写真にある最後の目的地アラスカ、ブルド―・ベイに到着。最後の4キロはスタートと同じように二人で歩いた。

ヨシコとぼくが、砂利道の角を曲がって行くと、集まっている人々が突然視界の中に飛び込んできた。その中にわが家の子供たちもいた。ジェフェリー(長男)はぼくの肩によじ登り、アユミ(長女)はカートにまたがって最後の数メートルを一緒に行進した。ついにぼくたち家族は最終地点で会うことができた。かくして旅は終わった。すすり泣きをしているぼくの体は震えていた。涙が頬を伝って流れ、凍りついた土の上にこぼれ落ちた。もはや丘を越えることはなくなったのだ。

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