あと読みじゃんけん (14) 渡海 壮 野蛮人の図書室
ベッド脇の本棚には買ってきたばかりのから買って久しいのまで本や雑誌が置いてある。それ以上入らなくなると仕方なく整理するのだが、何冊かは「近いうちに読むだろう」ということでそのまま置いている。もちろん手つかずの本や読みだすとなぜか眠くなるのなど色々あるから一概には言えないが。好きな論客のひとりで元外務省国際情報分析官、佐藤優の『野蛮人の図書室』(講談社、2011年)は、そうした何度もの選別をくぐり抜けた一冊である。整理のたびにいくつかの章を拾い読みしていたから<5年がかりの完読>となった。
「ようこそ、ラズベーチク・ライブラリーへ」という見出しの「まえがき」を「われわれは、誰もが野蛮人である。この現実を見据えることが重要だ」と書き始める。外務省時代はモスクワにある在ロシア大使館に勤務したこともあり「外務省のラスプーチン」の異名をとった。だから、このラズベーチクということばはロシア語で野蛮人を意味するのかと友人のロシア語通訳者に聞いてみたところ意外な返事が返ってきた。題名通りの意味ならそのまま「ようこそ、野蛮人の図書館へ」とすればいいのに、なぜだろうと思ったからだ。彼の解説はこうだ。
くだんのラズベーチクというのは<佐藤氏流の造語>だと思います。「ラーズベ」というのが「果たして~だろうか」という意味の助詞で、ロシア語で頻繁に使われます。「チク」は「人」を表す接尾辞で<ある傾向をもつ人物>を表現するのに用います。この二つの合成語であると考えれば、アクセントの位置が「ベー」に移っているのも、ロシア語の音声学から容易に想像できます。肝心の意味ですが「果たしてこうなるんじゃないかと懸念している人物(=佐藤氏)の図書館へ」となりましょうか。日本語にはひとことでこういう意味を表現する語彙はありませんので敢えて「野蛮人の」という言葉を当てているのかもしれません。強いていえばこの造語に「野獣的感覚」、「野蛮人の嗅覚」みたいな<寓意>が込められているのかもしれませんね。
さすがに情報活動では百戦錬磨のプロフェッショナル、のっけから一筋縄ではいかない。
現代社会は複雑で、世の中で起きていることを正確に理解するためにはさまざまな知識が必要になる。確かに日本は世界でもっとも教育水準の高い国だ。アジアにありながら欧米列強の植民地にならず、太平洋戦争敗北後の荒廃から社会と国家を見事に復興させたわが日本民族は、客観的に見て優秀である。しかし、現在の日本が衰退傾向にあることは、残念ながら、事実である。どうしてなのだろうか。それを解く鍵としてドイツの社会哲学者ユルゲン・ハバーマスが唱える「順応の気構え」という言葉をあげる。
佐藤によると人間は理解できないことが生じたときに「誰かが説得してくれる」と無意識のうちに思って自分の頭で考えることをやめてしまう。テレビのワイドショーでは、殺人事件、芸能人のスキャンダル、政治、経済、外交などについてコメンテーターが15~30秒でコメントする。「よくわからないけど、有名な人がそういうのだから」と無意識のうちに思って順応してしまう。そうするうちに人類は徐々に野蛮人化していく、そして最後には自分が野蛮人であるということにすら気付かなくなってしまう。文明国であったドイツからアドルフ・ヒトラーが出てきたのもドイツ人の多くが「順応の気構え」を持つようになってしまったからだ。
この名前をどこかで聞いた気がすると思って調べてみたら2004年の「第20回京都賞」の思想・芸術部門の受賞者だった。毎年、記念講演の案内状をいただいているのでファイルを取り出すと、プロフィールには「ユルゲン・ハーバマス博士:1929年、ドイツデュッセルドルフ生まれ、哲学者・思想家、ゲッティンゲン、チューリッヒ、ボンの各大学で学ぶ。ハイデルベルク大学教授などを経てフランクフルト大学名誉教授。コミュニケーション行為論、討議倫理学など、社会哲学理論の構築および公共性に根ざした理想社会実現への実践的活動を行った哲学者」とある。名前の日本語表記はハーバマスがより近いのかもしれないが、その業績を本書でわかりやすく解説してもらった。
いうまでもなく一人の人間の能力や経験には限界がある。限界を突破するためには、他人の知識や経験から学ぶことが重要で、そのためにもっとも効果的な方法が読書であって、読書によって代理経験を積むことができる。佐藤が指摘するように高度成長期の日本では、電車の中で本を読んでいる人が今よりはるかに多くいた。「あの頃の日本人は、自分が野蛮人であることを自覚していたので、本を読んで知識や経験を積んで教養人になろうと努力していた」というのは一面当たっているかもしれないが、今のようにスマホやタブレット読書などというのもなかったし。
この本で紹介されているのは「人生を豊かにする書棚」、「日本という国がわかる書棚」、「世界情勢がわかる書棚」の各章で57テーマにそれぞれ2、3冊ずつの計百数十冊、ただし立花隆、佐藤優共著『ぼくらの頭脳の鍛え方―必読の教養書400冊』(文春新書)とか、米原万里の『打ちのめされるようなすごい本』(文春文庫)などブックガイドも含まれているから、本のなかでの「入れ子構造」まで勘定するとその4、5倍になるだろう。「頭脳を鍛える談話室」では作家の池永永一、飯嶋和一、西木正明、経済学者の中谷巌各氏と佐藤の対談が収録されている。
この本は各章の見出しからまず読みたくさせる。「意味のある読書とは何か―著者と対話しながら、自分の頭で考えることを繰り返そう」、「ウミガメに見る女の本質―かわいさの陰に潜む<肉食系女子>の本性」、「京都に学ぶ人間の裏・表―ロシアで物事を裏読みする時に京都のイケズ解釈が役立った」、「司馬遼太郎の歴史観―日露戦争を『坂の上の雲』で学ぶとロシア観を誤る」・・・なかでも佐藤のロシア体験が生きている「<プーチン現象>の真実―権力に対して批判的。インテリだったからKGBでは出世しなかった」はなかなか興味深い。モスクワでの現役外交官時代に本人と3回あったことがあるという。表情をめったに出すことがない「死に神」のようなプーチン首相をどうとらえればよいのだろうか。
彼は優れたインテリジェンス(諜報)官僚であるとともに知識人(インテリ)なのだ。ロシアのインテリの特徴は、単に知識や教養があるだけでなく、権力に対して批判的だということだ。インテリ的体質をもったプーチン氏は、自分自身を含め、権力に対して批判的で、反体制派の知識人を守るようなタイプの諜報機関員だったからKGBでは出世しなかったのである。プーチン氏はロシア帝国の復活に文字通り命を捧げている。その心意気をロシア人が買っているのだ。圧倒的多数のロシア国民に支持されている理由はここにある。日本の総理が、日本国家のために命を捧げるという裂帛の気合でプーチン首相に立ち向かえば、北方領土問題の突破口が開く。
執筆当時の「日本の総理」は安倍総理ではなかったが、今また首脳会談で北方領土問題が注目を浴びている。果たして<裂帛の気合で立ち向かう>ことができるだろうか。
「北朝鮮とミサイル―後継者は、金正日の息子であれば誰でもいい」では、弾道ミサイル、テポドンは金正日から息子への権力移譲を記念する祝砲だったという解釈に賛成しながら、固有名詞はそれほど重要ではない。金正日の息子であれば誰でもいいと言い放つ。そう、たしかにそう!<この5年後の北朝鮮>をあれこれ知っているだけに素直に頷ける。
「休みにこそ読むべき本―いくら読んでも教養が身につかない本があるので要注意」は、さらに明快である。難しい本にはふたつの種類がある。ひとつ目は、書いている内容が滅茶苦茶なので理解できないもので、学者や官僚が書く本で結構ある。著者の名前や肩書に圧倒されてしまい「わからないのは自分の勉強が不足しているからだ」と思ってしまう。こういう本をいくら読んでも教養が身につくことなどない。ふたつ目は、書いている内容はしっかりしているのだが、読者にとって予備知識がないからわからない本だ。例えば、微分法について知らない人が金融工学の本を読んでも理解できない。基礎的な数学の勉強を身につけることが大前提である。
ここであげるのはヘーゲルの『歴史哲学講義』で、回想録を読む際の注意についてヘーゲルの「回想録の作者は高い地位についていなければならない。上に立って初めて、ものごとを公平に万遍なく見渡せるので、下の小さい窓口から見上げていては、事実の全体はとらえられないのです」を紹介し、最近は普通の人の歴史を描いた民衆史がブームであるが、歴史的事件のプレイヤーだった高い地位についていた人の回想録を読まないと歴史の本質的な流れをつかむことはできない、と釘をさす。
最後におせっかいながら著者が言いたかったことからすると、この本の題名は『野蛮人にならないための図書室』がより適切ではないだろうか、と自戒を込めて書いておく。