季語道楽(28)『季語の誕生』の前に”必読奇書” 坂崎重盛
『季語の誕生』の前に笑える”必読奇書”にちょっと寄り道
前回、『俳句外来語辞典』に収録されている、中曽根康弘元首相の句を“久米仙俳句”? と“邪推”したのだが、この“久米仙俳句”というユニークな造語は『俳句︱︱四合目からの出発』(阿部筲人著 昭和五九年 講談社学術文庫)に登場する。
この、文庫といえ五百ページを超えるボリュームの俳句書は、句会に参加したり、句のやりとりをするような立場にある人なら必読、と言われてきた、作句のための指導書であり、なによりタブー集である。実際、句会に参加しはじめたころ、「四合目からの出発を読んだ?」と人から質されたこともあったし、後には、僕自身が「あの本を読まなきゃ、必読ですよ」とエラソーにのたまわっていた。
この『俳句︱︱四合目からの出発』については、また改めて、しっかり、ふれることになると思うが、ここで内容のごく一部だけを紹介すると、[お涙頂戴俳句][おのろけ俳句][水増し俳句][めそめそ俳句][分裂症俳句][独り合点俳句][出歯亀俳句]といった項目が目次に見える。その中に[久米仙俳句]もある。
「久米仙」とは正しくは「久米の仙人」。俗界を超越し、雲の上の人となったはずの久米仙人が、川で洗い物をする女性の白いふくらはぎ、あるいは太もも(襟足という説もあり)を見て、法力を失い雲から墜落してしまったという、『徒然草』や『今昔物語』でも語られている、情けないというかユーモラスな逸話です。
「久米仙様ァと濡れ手で介抱し」という川柳は、この久米仙人をネタにして詠んだもの。彼女は川で作業していたので、仙人を助けるときは、当然に“濡れ手”となるわけですね。
そして、現代の[久米仙俳句]の例として、
春昼のバスに乗る女「脛白し」
水仙に「うなじ見られて」粧(よそお)えり
「美しく長き襟足」浴衣(ゆかた)着て
羅(うすもの)を透(す)かしてすがし「腰の線」
薄着して「腰の曲線たのもしく」(以上、ルビ略)
といった例句(悪例)を挙げつつ、
何がすがし、でしょう。何がたのもし、ですか。何が曲線美ですか。
と、きついダメだしをしている。まあ、女性の色香に心をうばわれ、それを素直に句にしてしまった男の本能? もわからぬではないが、著者の阿部筲人は、そんな恥ずかしい、みっともない、下心みえみえの句を作ってはいけません、とたしなめているのである。
著者は、結社を主催する現代の著名俳人はもとより、俳聖と言われる芭蕉の句までも、ときには批判している。舌鋒するどく、しかも物言いがキツイ、ユーモアというか、ウィットというか、毒が効いているので、(なるほど!)と合点しつつ、つい微笑を誘われるが、槍玉に挙げられたほうは、たまったものじゃありませんね。
外国語俳句にも言及していて、こんな指摘が。
外国語は俗語以上に、俳句を俳句らしさから遠ざけます。(中
略)要らざる所に乱用する作者の軽薄さが露出することになり
ます。
得意になって用いると、鼻持ちなりません。素養なく用いる
と、作者の間抜けさが見透かされます。
といい、例句を挙げている。その一部を書き添える。
藁屋(わらや)に「アンテナ」触覚のごとく春を待つ
昼は孤独な社宅アンテナの触覚のび
前句は著名な俳人、後句は先鋭な俳誌の同人欄にありました。
アンテナは、動物学などで触覚そのものの意、それを無電工学
に利用しただけです。言葉をおうむのように用いるから、こん
なことになりました。比喩になりません。
と、指摘し、さらに例句を挙げたあとで、
ところが俳人は外国語に誠に弱い人種ですが、それなのに気取
って使うので、外国語の弱さを暴露するのです。外国語が使い
たかったら、夜学に通って、しっかり勉強することです。
と言い切る。わざわざ“夜学に通って”と言い添えたところが、啖呵をきる勢いにブレーキがかからなかったのかもしれません。
『俳句外来語辞典』に収録されていた中曽根元首相の「コーラン誚う産毛も汗ばみて」の句から[久米仙俳句]という言葉を思い出し、
『季語の誕生』(宮坂静生著 二〇〇九年 岩波新書)を紹介するつもりが寄り道をくってしまいました。
さて『季語の誕生』、この新書の一冊こそ、京都、東京の季節を念頭におかれた、これまで通用してきた歳時記の季語と、他の地方(場合によっては国)の気候、風土、生活習慣などのギャップに関して言及した書なのである。
「はじめに」で紹介されるエピソードが、この事情をわかりやすく伝えてくる。「はじめに」の一行目からの引用。
二〇〇四年五月、北海道の稚内(わっかない)に近い浜頓別
(はまとんべつ)に住む俳句作者から歳時記について質問が来
たことがある。その主旨は、用いている市販の歳時記は、どれ
も浜頓別の季節には合わない。
という、日本の北端近くに住み、句を作る人の悩みというか疑問を訴える。
今まで私はすべて俳句を歳時記の季節に合わせ空想で作ってき
た。しかし、もうこれ以上そんなことを続けていても意味がな
いと思うようになった。これから私はどうしたらよいか教えて
ほしい、というのである。
この言葉を受け取ったときの著者の反応、
私はこの手紙を受け取り、衝撃に近い思いがしばらく消えな
かった。
そこで改めて、この手紙から受けた思いを考えてみた。
︱︱という一節から、この書の論は始まる。次の行は「歳時記に囚われた俳句づくり」というゴシックによる小見出しである。
ところで、先日、たまたま手にした高浜虚子の『俳壇』(一九九九年 岩波文庫)で、この問題に関してはいかにも虚子らしく単刀直入にズバリと答えているが、その紹介は『季語の誕生』の内容にあたってからにしたい。
この、これまでの歳時記、そこに収められた季語に対する新たな考え、提案は“地貌”というキーワードが主役をつとめる。
次回は、少しくわしく『季語の誕生』を見てゆきたい。そしてまた高浜虚子の歳時記、季語と、地域差の現実に対する考えも紹介したい。