季語道楽(29)宮坂静生の『季語の誕生』と虚子 坂崎重盛
宮坂静生の“地貌”論と『季語の誕生』と虚子の横綱相撲
北海道の最北端、稚内(わっかない)に近い浜頓別(はまとんべつ)に住む俳句作者からの、自分の住む土地と一般歳時記の季語感のズレに対する悩みを訴えられた『季語の誕生』の著者宮坂静生は、あらためて歳時記と実景の関係について考えざるを得なくなる。
そして、
私たち俳句を作る者はいつのまにか、歳時記に囚(とら)われ
てしまっているのではないか。歳時記を開き、季語を探し、季
語の解説と現実に見たものとを比べ、そこに違いがあれば現実
の実景よりも季語の解説を優先し、一句にまとめる。
と、“中央集権的”歳時記優先で、作者の立つ目の前の実景がおろそかにされてしまってきたことを指摘する。
「市販の歳時記はどれも浜頓別の季節には合わない」という一
言がズシリと私の胸にこたえた。
という言葉とそして、
私自身、実景よりも歳時記の季語から連想される世界のほうが
いつか実感が伴って感じられたことに気づかされた驚きである。
と、自らのこれまでの作句態度と歳時記の関係を明かしている。
「実景と詠まれる世界との関わり」に関して、著者は、明治期「写生」を提唱した正岡子規の「実景第一」の姿勢を伝えるエピソードを紹介する。
それは、みちのく盛岡の俳人からの問いに対する子規の対応である。︱︱盛岡では、梅も桜も同時に咲く、桜が散るまえにホトトギスが鳴き、卯の花の中に桃、菜の花、バラ、スミレも一斉に咲きはじめ、この実景を読もうとすると、(歳時記的には)春夏混同の句となってしまうが、それでも差しつかえがないのだろうか︱︱という盛岡在住の句作者の悩みに対して、子規は、少しも差しつかえがない、
『盛岡の人は盛岡の実景を詠むのが第一なり』
と答えた、というのである。
なんともスッキリとした、子規らしい答えである。というか、それまで、実景に対することをおろそかにして、約束事のイメージになれ親しんだ江戸末期から明治中期に至る月並み俳句を批判し、「写生」の重要性を訴えた子規にとっては、当然といえば当然の言葉といえる。
この、子規は句友でもあった夏目漱石の句にも、ズケズケと、指導というか口出しをした、直言居士の句界のリーダーである。
著者は、盛岡の俳人と子規のやりとりを紹介し︱︱盛岡のようなふるさとを“地貌”と称している︱︱と、その土地、土地の実景、実感を“地貌”という言葉で、あらためて見直そうとし、一般には見慣れぬ用語を採用した理由を説明する。
地貌とは地理学で、地形が陸か島か、地表が平坦か斜面かなど、
土地の形態をいう用語である。俳人前田普羅(ふら)が句集
『春寒(しゅんかん)浅間山』(増訂版、昭和二一年刊)の序文
で「自然を愛すると謂(い)ふ以前にまず地貌を愛すると謂は
ねばならなかった」と述べていることに感動し、私も使わせて
もらっている。
と“地貌”使用の由来を語っている。さらに、
「自然」と称して風景を一様に概念的につかむのではなく、そ
れぞれの地の個性をだいじ(ルビ点)に考える見方である。風
土の上に展開される季節の推移やそれに基づく生活や文化まで
包含することばとして私は地貌を用いてきた。
とし、先の浜頓別の句作者に対しては、
歳時記の季語の解説や季節分類よりも、浜頓別の地貌をだいじ
にしてほしいといいたい。
と、地貌重視の考えを伝えている。
子規の「盛岡の人は盛岡の実景を詠むが第一なり」また、これにならった宮坂の「浜頓別の人は浜頓別の実景を詠むのが第一なり」という言葉に接して、ぼくは、ある俳句書を思い出しました。それは高浜虚子の『俳談』(一九九七年刊 岩波文庫)。
この、虚子による大正末から昭和十年代中頃にかけて、主催する俳誌『ホトギス』誌上における発言を抜粋、編集した俳句に関連する談話集は昭和十八年、虚子の古稀にあたって刊行されている。
『俳談』を読んでいて、印象に残ったテーマの一つは、他でもない、季語、歳時記と地域性の問題である。虚子もまた、北海道を例に出す。さらに、日本列島ばかりでなく、遠くブラジルの地まで視野に入れる。剛腕虚子の面目躍如というところか。引用する。タイトル「国際歳時記」の項。
俳句というものは、もと日本の風土から生まれた文芸である
のだから、歳時記というものは日本の風土の気候を基準として
出来て居るものである。だから北海道とか九州とかいうやや辺
鄙(へんぴ)な処になるといくらか本土を基準とした歳時記で
は不便を感じるということは今まででもたびたび聞いておった
事である。
とのべている。虚子の、この発言は戦前の昭和十年、時代ということもあってか表現に多少、違和感を抱かせる部分もあるが、意だけを読み取れば、従来の歳時記を是としている。それは当然で、虚子自身が歳時記を編み、季寄せ(季語集)を刊行しているのですから。
しかし、この言のすぐ後に、「しかし」と虚子は言葉をつづく。
「しかし、北海道の梅と桜と一緒に咲くということを句にすれ
ばかえって其処(そこ)に面白い味があるとも考える。
革新的姿勢というか、したたかな虚子の懐の深さを見せつつも、
︱︱やはり北海道に住まっている人々も、内地の気候によっ
て編まれた歳事記に拠るということは、俳句を統一する上にお
いて必要であると考える。
と、あくまでも従来からの歳事記が基であるという考えを語っている。「しかし」と、またここで「しかし」が出る。引用します。
しかしこれが北満州とか台湾とかいう処になるとその不便が多
くなってきて季題を内地の歳事記通りに考えることができない、
という事が悩みの種となってきたのである。それが赤道以南の
ブラジル辺りになると、気候が如何(いか)に変化しているか
想像の外に思っておったのであった。
ブラジルですか。たしかに日本からの移民も多いブラジルでは、ハワイにもまして句を読む人が多かったのかもしれない。遠つ国にあって、歳事記に収められている言葉は、母の国の季節や風土を思いおこさせてくれるものでもあったろう。
もう少し虚子の言葉を聴こう。
今ブラジルの新聞を見ると六月が秋である。(中略)七月十日締
切の題が冬の蝶(ちょう)であり、八月十日の題が枯芝である
(中略)ブラジルはブラジルの十二ヶ月に割り当てた歳事記を
新たに作ればいいわけである。
と、言ったうえで、さらに、
俳句というものは、時候の変化によって起こる現象を詠う文学
であるから、春夏秋冬の区別は必ずしも重きを為(な)さない。
ただ、時候の変化その物が重要な物である。
と、あたりまえといえばあたりまえ、しかし作句のもっとも重要な肝(キモ)を伝えているように思える。
虚子の、この「国際歳事記」と題する一文は、次のような一節で締められる。
アメリカ人のブロバン・一羽(いちう)という人は日本字で
書いて雑詠に投句して来ますが、読んで見て向こうの景色が現
われている句は面白い。私はアメリカを知りませんがね。想像
するアメリカが現れているから面白い。
……うーむ、余裕ですね。まるで北の富士親方の相撲解説を聞いてるみたい。他の項でも、虚子は、ブラジル人の句に、
鸚鵡(おうむ)が群れをなして渡るというのがあった。鸚鵡が
渡り鳥とは面白いですね
とブラジルならではの鳥の生態で、それを詠んだらしい句に興味を示している。
︱︱と、『季語の誕生』での“地貌”に少しくわしくふれるつもりが、例によって、横丁に迷い込んでしまいました。迷い込みついでに、神保町で見つけた一冊『Series俳句世界3無季俳句の遠心力』(平成9年 雄山閣出版)の本扉には︱︱
オランダでは、「月」は絶対に冬のものなのだ 佐佐木幸綱
(『本号・鼎談』より)
とあった。
僕の感じるところ、無季俳句の人達の方が、季語・歳時記に関して、敏感で意識的ではないのだろうか。
ひょっとして、今後、スルドイ歳時記を編むのは、むしろ無季派の人たちではないか……と思ったりして。そんな歳時記、季語集があっても面白いじゃありませんか。