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季語道楽(48)好戦的俳人?いや、俳人的哲学者  坂崎重盛

九冊の虚子文庫本の拾い読みを楽しんだ。そして、虚子のことを、ほとんど知らなかったことを思い知らされた。ぼくが知る虚子とは、その俳句の代表句のごく一部と、子規とともに俳句にかかわってからの、ほとんどがエピソード的側面のみ。たとえば︱︱

  • 虚子は同郷・松山の子規に誘われて俳句に関わるようになるが、最初のき

っかけは、野球に熱中する子規が碧梧桐とともに高濱君(のちの虚子)を野球の仲間として呼びこんだことから。

  • はいごうの「虚子」は本名の清「(きよし)」を子規が音をそのまま「虚子

(きよし)」とした。このエピソードは子規の俳諧、滑稽気分を示していて楽しいし、さすが見事なコピー感覚である。

  • 子規は主導してきた「ホトトギス」を、自分の後継者とし愛弟子、虚子に

引き継いでもらおうと話を持ちかけるが、これを、子規のような学級肌ではないことを自覚している虚子が断り、子規をがっかりさせている。いわゆる「道灌山事件」。

  • 子規のもと、同郷の松山で学生時代からの親友で俳句を共に学んだ河東碧梧桐とは、子規死後ののちに俳句に対する理念の違いから厳しく批判、生涯のライバルとなる。
  • その河東碧梧桐は、虚子が一時、俳句より小説の創作に情熱を注ぐ間、季

語や五七五の定型にこだわらない、より自由で新興的な俳句、“自由律”の世界を提唱、旺盛な実作や全国を踏破しての普及活動によって世の支持を受けることになる。句界は新興俳句ブームを迎える。

  • この、碧梧桐をリーダーとする“革新的”伝統逸脱の俳壇の状況に強い危

機感を抱いた虚子は、小説創作の世界から、再び俳句の世界に舞い戻り、“客観写生”“花鳥諷詠”の二本柱の理念を死守して、また多くの後進を育てて俳句界の領袖的存在、大虚子となる。

  • 虚子の下で学んだ、水原秋桜子、山口誓子、阿波野青畝、高野素十は名の頭文字が「ホトトギス」の「四S」と呼ばれたが、水原秋桜子と山口誓子は、共に「ホトトギス」を離れ、より近代的な感覚の新たな道を進むこととなる。

︱︱と、いったあたりだろうか。

虚子の世界のアウトラインを知るためには、当たらず遠からずの知識だったかもしれないが、今回、心おもむくままに虚子本のページをめくってゆくと、改めて虚子の存在のスケールというか懐の深さ、ファイトスピリッツ、また詩作の柔軟さ、言語扱いの妙などを知らされることとなったのである。

当然といえば当然のことながら虚子は、単にエネルギッシュな、世間や社会に対し押し出しの強い、上昇志向だけの表現者ではなかった。俳句という一事を生涯にわたって考えつづけ、実作し、後進を育て上げ、また、その理念、言葉を磨き上げつづけた、一面、実践的哲学者の貌(かお)すらうかがわせるのである。

ぼくに、このような思いに立ち至らせてくれた虚子文庫本を、一冊ずつ、サラッとおさらいしてみたい。精読でも熟読でもなく、気ままなチラ読みですが。

 

  • 『俳句へのみち』

    俳句への道 著:高浜虚子

    俳句への道 著:高浜虚子

この「序」に

この書に輯(あつ)めたものは私が従来しばしば陳(く)べ来ったも

のをまた言を改めて繰り返したものに過ぎぬ。私の俳句に対する初心に

変わりはない。

と、ことわりつつも、

しかし時に応じ物に即して筆を採ったものであるから、今の俳句界に対

して無用の言とはいえないであろう。(傍点、坂崎)

と、晩年(昭和二十九年)でも、気力の衰えは見せない。この虚子の俳句語りは、次女・星野立子の句誌『玉藻』に連載、自論の“客観写生”や“花鳥諷詠”を、初心者をも意識しつつ語った貴重な記録とされている。

虚子文庫本、まずはということで『俳句への道』を、飛ばし読みするつもりでページを開いたら、この一冊が虚子の俳句理念をすべて(しかもくり返し)語っていることにすぐ気がついた。この一冊がきちんと読めれば、虚子の思いを汲むことは可能となるはずだ。

「俳句」と題する項、まず、“客観写生”が語られる。「客観写生(客観写生︱︱主観︱︱客観描写)」と題する一文。引用したい。

私は敢えて客観写生ということを言う。それは、俳句は客観に重きを

おかねばならぬからである。

俳句はどこまでも客観写生の技倆(ぎりょう)を磨(みが)く必要が

ある。

*

その客観写生ということに努めて居ると、その客観写生を透(とお)

して主観が浸透して出て来る。作者の主観は隠そうとしても隠すことが

出来ないのであって客観写生の技倆が進むにつれて主観が頭を擡(もた)

げてくる。

︱︱なんか、仏門の問答のようで、こういう言葉に接すると、ちょっと戸惑うのではないか。虚子はさらに言葉をつづける。

客観描写ということを志して俳句を作っていくという事は、俳句修行

の第一歩として是非とも履(ふ)まねばならぬ順序である。

ま、仮にそれを了承したとしても、では、その「客観写生」」という耳慣れない“虚子用語”は何を意味することなのですか? と問いたくなる。老練なる論客・虚子は、すでに説明を用意してある。

客観写生ということは花なり鳥なりを向こうに置いてそれを写し取る

事である。自分の心とはあまり関係がないのであって、その花の咲いて

いる時のもようとか形とか色とか、そういうものから来るところのもの

を捉(とら)えてそれを謳(うた)う事である。

と説明し、さらに簡潔に、

だから殆ど心には関係がなく、花や鳥を向こうに置いてそれを写し取る

というだけの事である。

と断定。(え? 俳句という表現に心は関係ないの?)といいたくなるが、早合点してはいけない。

そういう事(✻花や鳥を写し取る)を繰り返してやっておるうちに、そ

の花や鳥と自分の心とが親しくなって来て、その花や鳥が心の中に溶け

込んで来て、心が動くままにその花や鳥も動き、心の感ずるままにその

花や鳥も動き、心の感ずるままにその花や鳥も感ずるという事になる。

(中略)

自分の心持を諷(うた)う場合にも花鳥は自由になる。

客観写生の要点、というか要諦は「俳句は客観写生に始まり、中頃は主観との交錯が色々あって、それから終(しま)いには客観写生に戻るという順序を履むのである」ーーというのが虚子の俳句理念の二本柱のうちの太い一本である。

さて、もう一本の柱、虚子自ら編となる歳時記の表紙に、その四文字を博押しするほどの虚子製キーワード「花鳥諷詠」と題する一文ーー。

書き出しから、いかにもファイター虚子先生らしく、いきなり先制

のパンチをくりだす。

俳句でない他の文芸に携わっている物が「花鳥諷詠」を攻撃するならば聞こえるが、俳句を作っている者が「花鳥諷詠」を攻撃するのはおかしい。

と、ジャブのあとに、力を込めてフック、あるいはアッパーカットだ。

俳句は季題が生命である。尠(ル すくな)くとも生命のなかばは季題で

ある。されば私は俳句は花鳥(季題)諷詠の文學というのである。

花鳥、つまり自然と季語(虚子は専ら季題という言葉を使っている)として用いられる短詩型文芸が俳句だ、といっているのだ。だから、

季題というものを除いては俳句はありえない、それは俳句ではないただの

詩となる。詩としては成り立つが俳句としては成り立たない。

と主張する。とどめの一発、いや、一行はこの言葉だ。そんなに季題に抵抗を感じ、否定したいならばーー

季題の拘束のない他の文芸におもむけばよい。

この俳句という文芸の世界にとどまっている必要などないのではないか、と挑発する。季題に深い思いを抱く、この俳人は、

天然現象(花鳥)に心を留めると忽(ル たちま)ちゆとりが出来る。尠

くとも諷詠しようとする人の心にはゆとりが出来る。

(中略)

自然(花鳥)と共にある人生、四時の運行(季題)と共にある人生、ゆと

りのある人生、せっぱ詰らぬ人生、悠々たる人生、それらを詠うのに適し

たのが我が俳句の使命であると思う。

虚子の花鳥諷詠、つまり、これまでの季題信奉の言に接すると、こちらもなにか幸せな気分となってくる。

昭和初頭、東京のトレンドのシンボル的丸ビルに事務所を置いて、世俗的にはイケイケ派のように見られながらも、その俳句理念は無季語、無定型の“新派”に対して、自らを「守旧派」あるいは「伝統派」と名づけて闘いつづけてきた虚子だったのである。

『俳句への道』は読み飛ばせなくなった。他の虚子文庫をながめつつ、とにかく、この一冊を精読することにする。八十歳に近い虚子の、俳句という特殊な文芸ジャンルを守るための、休みない闘いの記録、記憶がここに語られているからだ。くりかえすが、掲載されたメディア『玉藻』は父・虚子の肝入(ル きもい)りで、娘・立子の主宰する句誌であり、初心者の同人、句の投稿者も少なくなかったという。

そういう読者に向けての配慮を、したたか、練達の虚子が軽視するはずがない。

虚子は、自説の“客観写生”と“花鳥諷詠”について、言葉や角度を少しづつ変えながら、くり返し説明しようとする。「何度でもいうぞ!」という、強い“圧”が虚子の本領である。

「客観写生(再)」の項―—。再度、客観写生のことについて“粘土”という物体の巧みなたとえを使っての印象的な一節だ。

客観写生ということは、客観を見る目を養い、感ずることを養い、かつ

描写表現する技を練ることである。

とまずは端的に断定する。これにつづく言葉は、その説明となる。

客観を見る目、感ずる心、そうしてそれを描写する技、それらを年を重

ねて修練し、その功を積むならば、その客観は柔軟なる粘土の如く作者の

手に従って形を成し、客観の描写ということがやがて作者の志を陳(ル の)

べることになり、客観主観が一つになる。

――と、そして、

客観写生ということを修練した人の俳句と、客観描写をおろそかにした

人の俳句とは直ちに見わけがつく。

“直ちに見わけがつく”とまで師に言われては、後進、塾生、同人はちょっとビビってしまうにちがいない。虚子のカリスマ性発揮。

そして、トドメはこうだ。

客観写生ということは浅薄な議論のように考えて居る人が多い。しかし

自然を軽蔑する人に大思想は生まれない。大自然を知ることが深いほど作

者の心もまた深くなってくるわけである。大自然を外してなんの心ぞや。

 

「極楽の文学」と題する、つい、座り直して読んだインパクトの強い一文がある。引用したい。

私はかつて極楽の文学と地獄の文学という事を言って、文学に二種類が

あるがいずれも存立の価値がある。

ここまではともかく、次の一節がほう! そうだったんですか! と改めて気づかされることとなる。つまり―ー

俳句は花鳥諷詠の文学であるから、勢い極楽の文学になる。

花鳥諷詠イコール極楽の文学ー―は次に説明される。

虚子のもの言いは、必ずしも順序だてた三段論法的表現をとらず、「なぜかというと」という中断をすっ飛ばして断定してしまうことが少なくない。無意識だろうがプロパガンダの手法ではないか。

飛ばした中断がフォローされる。

如何(ル いか)に窮乏の生活に居ても、如何に病苦に悩んでいても、一

度心を花鳥風月に寄することによってその生活苦を忘れ、たとえ一瞬時と

いえども極楽の境に心を置く事ができる。俳句が極楽の文芸であるという

所以である。

 

これまで紹介してきた、最晩年近くの俳話『俳句への道』では、さらに客観写生、花鳥諷詠が語られるが、俳句の“功徳”もたびたび披露される。「俳界九品仏」と題する一文。

私はかつて『俳諧須菩提境』(ル はいかいすぼだいきょう)というものを

書いた。これは仮にも十七字という俳句に接したものは悉(ル ことごと)

く、成仏するということを書いたのです。

「俳句に接したものはことごとく成仏する」︱︱ずいぶん思い切った断定である。いってみれば「俳句教」あるいは「俳句禅」? 虚子の言葉を聞こう。すごいですよう。

立派な俳句をつくる人はもとより成仏する。立派な俳句を作らぬ人でもと

にかく俳句を作った人なら成仏する。俳句は作らないがしかし俳句を読ん

で楽しむ人ならこれまた成仏する。読んで楽しまなくてっても唯(ただ)

俳句を読んだことのある人も成仏する。読まなくても俳句というものに目

を触れた人なら成仏する。また、俳句という名前だけに接しただけの人で

もなお成仏する。成仏するというのは俳句に対して有縁の衆生となるとい

うのである。

まるで「南無阿弥陀仏、ナムアミダブツ」と唱えれば、それだけで極楽成仏できるという浄土宗の教えの俳句版ではないか。虚子の俳句への確固足る決心がうかがえる言説だ。しかも、俳句は「極楽の文芸」であり、俳句により「成仏できる」というのだから、一心に念仏を唱える「往生要集」ならぬ、俳句専心の『俳生要集』。虚子を教祖とする「俳句教」だ。

皮肉で言っているのではない。ぼくなど、これまでの生半可な予備知識で、この俳句史の壇上にどっかと座るカリスマ虚子に対しては複雑な印象を抱いていたが、この『俳句への道』を読み進むうちに、虚子の人間としての大きさ、懐の深さ、組織力、オトボケ、挑発、また後進への、暖かい眼差しが感じられて快い。

虚子の俳句への思いを知りたければ、まず、この一冊だな、と思い定めた次第。あとは、その虚子の俳句に接するしかない。手ごろなところでは、すでにリストとして挙げた『覚えておきたい虚子の名句200』。

さほど期待して入手した思いはなかったはずだが、一頁一句の紹介とその解説、また巻末の「虚子名言抄」や「略年譜」、そして「初句索引」や「季語索引」と親切な編集・構成。この文庫も結局、「はじめに」から、奥付け対向ページまで完読してしまった。

本文、マーカーによるラインだらけ。憶えのためのフセンがぼうぼうと萌え出る若草のごとし。

虚子編 季寄せ 改訂版 編:高浜虚子 三省堂

虚子編 季寄せ 改訂版
編:高浜虚子
三省堂

虚子編になる『季寄せ』(三省堂寒初版一九四〇年 改訂四八刷)に関しては、その書影だけ掲げて、ここらで虚子離れをして、実際、虚子の下から離れて、別の俳句世界へ旅立った、水原秋桜子と山口誓子のかかわる歳時記と、その理念をたずねてみたい。

 

 

 

 

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